腰痛遍歴 第三章 歩けないか、歩けるようになるか

次の日は足元からじわじわとやってきた、同僚から、歩き方がなんかおかしいよと指摘され、3日目には立っているのが辛くなり、座れば痛みが和らいだはずが、座る事すら辛くなる程の痛みが襲ってきた、本気でヤバいかも、、数年前に救急車で運ばれた病院にかけこんだ、MRIをとらないと状況がわからないと言われ、すぐに準備をしてもらえた

MRIは仰向けになり撮影中は動かずじっとしていなければいけない、少しでも体制が崩れると『動かないで下さい』と耳に当てられたスピーカーから声がする、しかし痛みに耐えられずどうしても動かずにはいられなかった。

『中止します』、痛みに耐えられず動いてしまい、撮影は中止になった、病院から痛み止めの薬をもらってじっとしていられるようになるまでMRIは延期となった

 薬が効くまで辛抱、最初の2日間は痛みで一睡も出来なかった、腰を曲げて立っているか、うつ伏せで身体を丸め腰を突き出すような体制が1番痛みが少ない、だが立っていられるのも限界がある、体を丸めた体制で丸2日間ベッドでじっとしていた、夜は静かで真っ暗で睡魔に襲われるが少しでも大勢が崩れると激痛が走り、睡魔に耐えながら昼夜大勢を維持する事に必死だった、1分が10分のような感覚、人生でこんなにも1日が長いと感じた事はない、風呂には入れず、トイレが1番辛かった、、

3日目から徐々に薬が効き始めトイレが少し楽に出来るようになった。寝る時は丸めた姿勢を崩さないように壁に寄りかかり反対側に布団を重ね、お腹の下に布団を丸め入れて体重を乗せて身を委ねて安定すれば熟睡とまではいかないがなんとか寝る事が出来た

5日目辺りから誰かの補助無く1人でトイレに行けるようになった、だがトイレに行きたいと思ってからゆっくりトイレまで向かう途中で間に合わず失禁してしまう事があった、薬の影響かゆっくりとしか歩けず痛みで力が入らないから、、だな、とその時は思っていた

薬を飲み始めて1週間が過ぎ、再びMRIをとる日がやってきた、なんとか仰向けでも我慢が出来る、MRIをとっている間は仕事の事、彼女の事、これからどうなるのか不安で涙が止まらなかった


MRIを取り終えリハビリセンターで体の状態を診察する事になった、MRIの結果は後日なのでそれまで通う事になるそうだ

今は痛みで思うように歩けないけど、痛みが無くなればまた普通に歩けるようになるからリハビリなんて必要ないと思いながら担当の先生に現状を説明した、途中笑い話しのつもりでトイレに間に合わず失禁した事を伝えると、先生は笑うどころか険しい表情に一変し慌ててリハビリ室から飛び出した、その数分後、3人の医師達を連れ凄い勢いでやってきてこう言った

「すぐに手術しましょう」

え?

MRIの結果を見た医師たちの判断として今私は一刻を争う状況にあるらしい、このままだと下半身不随になることは確実とのこと

更には手術をしても『歩けないか、歩けるようになるか』そのどちらかと告げられた。

またいつもの生活に戻れると思っていた私に、突然明日から歩けない生活になると言われたようで、理解が出来なかった

このまま放っておいたら歩けなくなるから手術をします、だけど歩けるようになるかはわからない

ようするに、手術は絶対な訳で。手術後歩けない体になっているかもしれない。

今自分がこれから行われる事の重大さ、人生の岐路に立っているという感覚を急に課せられ理解が追いつかないまま、家族に連絡して下さい、手術をするにあたりこちらをよく読み署名をお願いします

あれ?

署名を書く用紙には手術後にこうなる可能性があるという症状の一覧が記載されていた

最後の一行に『死亡』と書いてある

署名を書く手が震えていたのは覚えている


腰痛遍歴 第二章 2度目の発症

痛みの記憶

あの時は痛すぎて動けなかったという記憶は残っているが、その痛みの感覚は時と共に忘れてしまう、、定期的に通っていた接骨院で勧められたコルセット、それが調子良くて大分痛みが緩和された

コルセットは今でも休みの日以外は毎日着けている

コルセットを着けてから普段の仕事に支障が無くなった、それが油断に繋がったのだと今では思う、予防の為のストレッチや接骨院に通う事も次第に疎かにしていた。

数年の月日が経ち

30歳を目前に結婚を考え転職する、新しい仕事はガソリンスタンド、セルフ店だがオイルやタイヤ交換など沢山のお客様が来て下さるお店なのでかなり大変な仕事だった、慣れない仕事で腰の痛みが再発してしまったが当時の私は新人でまわりに迷惑はかけられないと自分に鞭打ち一生懸命働いた、痛くなれば坐薬があるから大丈夫だと鷹を括っていた

忙しい日々に病院に行く暇もなく、坐薬をもらいに行く事も疎かにしてしまっていた。

そんなある日、当時付き合っていた彼女(現奥さん)とキャッチボールで軽い運動をしようと近くの公園に出かけた。

単純なキャッチボール、お互い軽く投げ合っていた、たまたま彼女が投げた1球が自分の少し手前に落ちそうだったので、手を伸ばし前屈みになった瞬間だった、、

腰が砕けるような感じだったと思う、妙な感覚が腰から伝わって来ると同時に激痛が走り身動きが取れなくなった。

数年振りの感覚、あの時と同じだ

一瞬で自分の状況が理解出来たのは経験があったからだろう

彼女は慌てていたが、私は冷静だった

とにかく坐薬を入れれば大丈夫、坐薬さえあればこの痛みはとれる、そう思っていたからだ

歩くこともままならない私を彼女は支えながら、真っ先に近くの小さな病院に向かった

しかし内科と小児科の小さな病院だった為、私の状況を見て今すぐ大きな病院に行くよう進められた、時間も夕方、この時間で見てもらえるのは夜間診療を受け付けている総合病院が最も近かった、車で1時間はかかる道のり、彼女の運転、後部座席で悶絶している私をルームミラー越しに見ていて彼女も不安だっただろう、増して行く痛みに我慢出来ず、私は声を出さずにはいられなかった、、

病院に着いた時には立つことも出来ず、車椅子を用意してもらったが、座る事も激痛で私は車椅子にギリギリ座らないよう腕で支え、まるで体操の鞍馬をしているような格好で病院内に入った

診察を受け坐薬を投与してもらった

これで大丈夫、薬が効けば歩けるようになる

しばらくすれば痛みがひいて、、こない

おかしい、、痛みが無くならない、焦りと不安を感じ始めた時、そういえばあの時と違う妙な感覚がある事に気付いた

下半身が痺れている?

しばらく正座していた後のような感じに似ているがそこまで酷いわけじゃない、酷くはないからその時は痺れがあると先生に伝えなかった

(たらればだが、この時に痺れがあると伝えていたら違う処置だったのか、、、)

坐薬で痛みがひかない事を伝え、より強い点滴での痛み止めを打つことにした

点滴が終わる頃には痛みがひいていた、だけどなんとなく下半身の感覚が変だった

不思議なもので不安と焦りは痛みが無ければ消えてしまう

治ったという気がしてしまう

無理はしないように仕事しよう、湿布と坐薬があれば大丈夫だろう、そう思っていた

だか今回はそんな軽い怪我ではなかった、私の腰はすでに大変な事になっていた

腰痛遍歴 第一章 発症から

私には持病がある、その一つが腰痛だ

腰痛の種類は様々で、慢性的なものから一時的なもの、疲れたとき、風邪を引いた時、長時間のたち仕事やデスクワーク、いろんな要因から腰痛に繋がっていく、私の場合は元々猫背で立っても座っても姿勢が悪い、腰痛が初めて発症した当時はしゃがんでは重いものを持ち上げ高く積み上げて行き、その後はただただ長時間ずっと立ちっぱなし、、姿勢の悪い私には腰に負担しかかけない仕事をしていました。


毎日同じ作業を繰り返し、20代前半だった私は腰の痛みを感じると湿布で緩和することしか出来なかった、というかそれしか知らなかったし、それでその内治るだろうと安易に考えていたんだと思う、そんなある日、とうとう腰が悲鳴をあげる

その日は上司の誘いで夜の海釣りに出かけた、その日も痛みはあったが運動不足だと思い込んでいた私は軽い運動になると思い誘いに乗った訳で、約1時間位だろうか釣りの最中徐々に痛みがいつも以上に酷くなったので途中で切り上げ、自宅に戻りお風呂に浸かって湿布を貼り、明日になればよくなるだろうと軽く考え、就寝した。

数時間はたった頃だろうか、激しい腰の痛みで目覚め、寝起きは最悪だった、まだ外は薄暗く早朝というには早い時間、何がなんだかわからなかった、とにかく痛い、じっとしていても痛いのに少しでも動こうとすると激痛が走る、まったく身動きが取れない、今自分になにが起きたのかまったくわからない、一生このままなのか、このまま死ぬのかと無知なわたしは絶望した。当時実家に住んでいた私は一階で寝ていた母をなんとか電話で起こし、状況を話して救急車を呼んだ

待っている間も冷や汗が止まらず自分の置かれた状況に不安しかなかった、しばらくして救急隊が到着し仰向けになれない私はうつ伏せのままタンカに乗せられ運ばれた。

だが早朝ということもあっただろうか、なかなか受け入れてくれる病院が見つからずしばらくたらい回しに合う。車の揺れが激痛でずっと生きた心地がしなかった、ようやく受け入れ先の病院が見つかり処置を受ける事が出来た

処置といってもただ坐薬を入れただけ、そんなんで痛みが取れるのかと疑ったが、数分後には身動き一つとれず苦しめられたあの激痛から徐々に解放されたのだ、あの痛みと苦しみはなんだったのか訳がわからない、耐えられないあの痛みが坐薬一つでなくなるなんて、、そして動ける事がこんなにも幸せなのかとかんじた

病名は椎間板ヘルニア

ヘルニアとはその対象が突出してしまう状態、椎間板ヘルニアなら椎間板が突出した状態をさす


坐薬はあくまで一時的に痛みを緩和するだけだが効果は絶大だった、坐薬という特効薬を手に入れた私は痛くなるとすぐ坐薬を入れ、いつも通り仕事が出来るようになった

ウォーキングデッド


サバイバルホラーの海外ドラマ、メインのシリーズは終わったが別の場所での物語もドラマ化され尚ロングヒットをし続けている。私はこのドラマにハマってしまったというお話。

 ちょっと話は変わるが日本のドラマで「君と世界が終わる日」にが放送されていたが、第一話を見た時はウォーキングデットとほぼ入り方が一緒だったからパクリ感が否めなかった、、余談失礼

さて話を戻して、ウォーキングデットの第一話を簡潔に語ります。 このドラマはニックという警察官をしばらく主人公として話が進みます。

ある日の事、逃走した犯人を車で待ち伏せしていたニックと相棒のサムは犯人等と撃ち合いになってしまいニックは不意にも撃たれ重症を負ってしまう。生死を彷徨うこと幾日か、、病室で意識を取り戻したニックだったが朦朧とする意識の中病室を出ると人の姿どころか物音も無く病院は閑散としている。何があったのか、異変に混乱するニックだったがとにかく家族の事が気がかりで探しに向かおうと外に出る、、扉を開けた外の世界は変わり果てていた。

という始まり。謎のウィルスが世界に蔓延し、感染すると人は肉を食らうウォーカー(歩く死人)になる、このドラマの見所はウォーカーの怖さではない、謎のウィルスが何故蔓延したのか謎のままシーズン①が終わり、シーズン②からは生存者達の人間関係に重点が当てられおもしろい。ホラーではなくヒューマンドラマ、人間の愚かさを描いているこのドラマに私はハマっている。


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