腰痛遍歴 第二章 2度目の発症

痛みの記憶

あの時は痛すぎて動けなかったという記憶は残っているが、その痛みの感覚は時と共に忘れてしまう、、定期的に通っていた接骨院で勧められたコルセット、それが調子良くて大分痛みが緩和された

コルセットは今でも休みの日以外は毎日着けている

コルセットを着けてから普段の仕事に支障が無くなった、それが油断に繋がったのだと今では思う、予防の為のストレッチや接骨院に通う事も次第に疎かにしていた。

数年の月日が経ち

30歳を目前に結婚を考え転職する、新しい仕事はガソリンスタンド、セルフ店だがオイルやタイヤ交換など沢山のお客様が来て下さるお店なのでかなり大変な仕事だった、慣れない仕事で腰の痛みが再発してしまったが当時の私は新人でまわりに迷惑はかけられないと自分に鞭打ち一生懸命働いた、痛くなれば坐薬があるから大丈夫だと鷹を括っていた

忙しい日々に病院に行く暇もなく、坐薬をもらいに行く事も疎かにしてしまっていた。

そんなある日、当時付き合っていた彼女(現奥さん)とキャッチボールで軽い運動をしようと近くの公園に出かけた。

単純なキャッチボール、お互い軽く投げ合っていた、たまたま彼女が投げた1球が自分の少し手前に落ちそうだったので、手を伸ばし前屈みになった瞬間だった、、

腰が砕けるような感じだったと思う、妙な感覚が腰から伝わって来ると同時に激痛が走り身動きが取れなくなった。

数年振りの感覚、あの時と同じだ

一瞬で自分の状況が理解出来たのは経験があったからだろう

彼女は慌てていたが、私は冷静だった

とにかく坐薬を入れれば大丈夫、坐薬さえあればこの痛みはとれる、そう思っていたからだ

歩くこともままならない私を彼女は支えながら、真っ先に近くの小さな病院に向かった

しかし内科と小児科の小さな病院だった為、私の状況を見て今すぐ大きな病院に行くよう進められた、時間も夕方、この時間で見てもらえるのは夜間診療を受け付けている総合病院が最も近かった、車で1時間はかかる道のり、彼女の運転、後部座席で悶絶している私をルームミラー越しに見ていて彼女も不安だっただろう、増して行く痛みに我慢出来ず、私は声を出さずにはいられなかった、、

病院に着いた時には立つことも出来ず、車椅子を用意してもらったが、座る事も激痛で私は車椅子にギリギリ座らないよう腕で支え、まるで体操の鞍馬をしているような格好で病院内に入った

診察を受け坐薬を投与してもらった

これで大丈夫、薬が効けば歩けるようになる

しばらくすれば痛みがひいて、、こない

おかしい、、痛みが無くならない、焦りと不安を感じ始めた時、そういえばあの時と違う妙な感覚がある事に気付いた

下半身が痺れている?

しばらく正座していた後のような感じに似ているがそこまで酷いわけじゃない、酷くはないからその時は痺れがあると先生に伝えなかった

(たらればだが、この時に痺れがあると伝えていたら違う処置だったのか、、、)

坐薬で痛みがひかない事を伝え、より強い点滴での痛み止めを打つことにした

点滴が終わる頃には痛みがひいていた、だけどなんとなく下半身の感覚が変だった

不思議なもので不安と焦りは痛みが無ければ消えてしまう

治ったという気がしてしまう

無理はしないように仕事しよう、湿布と坐薬があれば大丈夫だろう、そう思っていた

だか今回はそんな軽い怪我ではなかった、私の腰はすでに大変な事になっていた

投稿者: 川崎紘史

今思えば人生の岐路はいくつもあった、あの時こうしていたなら今どうなっていただろうと現状に満足していない自分がいる。みんなそうなのだろうか、今日を必死に生きる、過去は変えられない、未来は今の自分の選択次第。やりたい事も欲しい物も沢山ある、その為には今何をするべきなのか、、

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